2018年5月13日(日)

     「与えられた賜物」                コリントの信徒への手紙Ⅰ12章27-13章13節

                                                    杉山いずみ牧師

 教会にはさまざまな働きがあります。さまざまな奉仕があります。たくさん奉仕を担っていると重荷に感じることがあるかもしれません。時には誇らしく思うことがあるかもしれません。パウロは問います。「その行いに愛はありますか?」と。愛がなければどんな行いも無に等しいと言うのです。どんな奉仕よりも愛に生きることが大切なのだと言います。愛に生きるということは、どんな奉仕よりも難しいと思わされます。
 13章は結婚式などでよく読まれる「愛の賛歌」と言われる個所ですが、パウロは結婚式で語ったのではなく、教会に宛ててこれを書きました。パウロが愛を示すようにと言っているのは、結婚相手や家族に対してだけではなく、教会で愛をもって関係性を築くようにと勧め、招いているのです。愛の奉仕は誰にでもできることですが、一番難しいことです。好きな人相手にだけでなく、苦手な人や嫌いな人にも愛を示すということはとても難しいチャレンジです。好きな人相手にであっても愛をもって関わり続けることの難しさを感じることがあります。ましてや気の合わない人、価値観の違う人、傲慢な人、失礼な人、苦手な人に愛を示すということは簡単なことではありません。愛を示すと言っても無理に愛情表現をするようにと言っているわけではありません。「忍耐すること、情けをかけること、ねたまず、自慢せず、高ぶらず、礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かず、不義を喜ばず、真実を喜び、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」これが愛だと言うのです。愛情表現には見えないかもしれませんが、愛がなければ「忍耐できず、情をかけず、ねたみ、自慢し、高ぶり、礼を失する。自分の利益を求め、いらだち、恨みを抱き、不義を喜び、真実を喜ばず、すべてを忍ばず、信じず、望まず、耐えられない。」苦手な相手、嫌いな相手にこのように相対してしまうのは、人間的であり、自然な感情かもしれません。でも、そのような感情によって一人一人が自由に振る舞い生きていくなら、教会を共に立てていくことはできません。愛せないと思う時、神さまの愛を考えるチャンスです。神さまは欠けのあるわたしをも愛してくださっている。そのことを心に留めて生きることができることが一番の賜物です。イエス・キリストの愛によって建て上げられる教会を造り上げる一人になっていきたいと思います。